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コラム Column

変わりゆく渋谷 ―私の心の原風景―

私にとっての渋谷

勤務地の恵比寿からは少し離れますが、渋谷駅周辺の話をしたいと思います。

祖父の代に開業し、両親の仕事場でもあった洋菓子店が宇田川町と円山町にあったため、私にとっての渋谷は、ケーキ配達の手伝いなどで歩き回る馴染み深い街でした。

現在、再開発で変わりゆく渋谷がよくクローズアップされますが、たかだか40年間の私の歴史の中でも、渋谷駅周辺は著しい変貌を遂げています。

円山町本店の前で。左が筆者の母
ショーケースいっぱいに並べられたクリスマスケーキ

人の流れを変えたビル「109」

さすがに白黒写真でよく見る東急東横店のケーブルカーは実際に走っているところを見たことはありませんが、小学生の頃に建設されたファッションビル「109」は鮮烈に記憶に残っています。

「109」になる前のその場所は、2階建の洋品店や食料品店舗や飲食店が、道玄坂の大型百貨店「緑屋」(現在はTHE PRIME)を見上げるようにひしめきあっていました。丹羽文雄の小説で有名な「恋文横丁」もその一角であったのかと思います。(ちなみに「恋文横丁」とは、戦中、日本人女性からアメリカ兵に宛てたラブレターを翻訳する代書屋がいくつもあったという、なんとなくロマンチックな横丁です)

その後に現れた未来的なシルバーの円柱形のビルには、続々と若い人たちが押し寄せ、その頃からジャージ姿などで渋谷に出ていくのが恥ずかしくなってきた記憶があります。

昭和49年(1974年)の道玄坂下交差点。この5年後に「109」が建設された
「109」現在の様子

私の心の中に残る渋谷の街

みなさんもこんな経験はないでしょうか。何度も通った場所でも新しい建物が建ってしまうと、以前に何があったか、どんな感じであったか、どうしても思い出せない。

普段漠然と見ている街というのはそういうものだと思います。

渋谷のような雑多で密集した商業地ではなおさらで、いまでも歩くたびに「あのビルがない··、あの店がなくなっている··」とか「この店、まだやっていたんだ」と、つい感慨深く見回してしまいます。

街が変わるのは当然のことですが、プラネタリウムや映画館、ブロマイド専門店などがあった「東急文化会館」は「ヒカリエ」となり、ロシア料理の「ロゴスキー本店」があった「東急プラザ」も建て替えられました。次々と高層ビルが建ち始め、ビルとビルは見えない地下でアリの巣状態に繋がっています。

すごく劇的かつ立体的な変化で、なかなかついていけない、というのが正直な感想です。

私の心の中に残る情景はもう少し平面的であり、渋谷最古のドラッグストア「三千里薬局」の天津甘栗の看板、花街円山町の料理屋や寄席、百軒店の老舗中華料理店やジャズ喫茶、最後まで「109」に食い込むように残っていた「くじら屋」等々、当時の人々の声や匂いをともなった思い出には、何とも言えない郷愁を呼び起こされます。

新旧が入り交じる街の歴史に思いをめぐらせ、書籍や写真集などの記録を見てはその変化を確認する。

時々自分の曖昧な記憶が大きな勘違いだったと愕然とする瞬間などがあり、それはそれで楽しい時間です。

そしてこの仕事に就いて、お客様や地主の方から「昔ここは○○だった」とか「子供の頃に○○があった」などと言われるたびに、古地図を見るような面白さを感じると同時に、人にはそれぞれの原風景があるのだなあ、とついつい聞き入ってしまいます。

(左上・下)初期のポスター (右上)初期のマッチ箱
昭和51年(1976年)当時の古地図

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